もし性被害の原因が被害者にもあるならば、死ぬしか解決策がないことになる

もし性被害の原因が被害者にもあるならば、死ぬしか解決策がないことになる

こんにちは。こんばんは。おはようございます。

リキトです。

 

リキト
リキト

本記事では、性被害の原因が被害者にもあるならば、結果的に被害者が死ぬしか解決策がないことについて解説します。

 

性被害・性暴力の定義は以下の記事でまとめているので、こちらも参考にしていただけると、理解度が増すことでしょう。

性被害・性暴力とは相手を性に関することで苦しめた時点で生じるサムネイル

性被害・性暴力とは相手を性に関することで苦しめた時点で生じる

2021年4月16日

『性被害の原因が被害者にある』のなら、被害者は死ぬことでしかこの問題を解決できない

性被害の話をすると、

  • 被害者にも原因がある
  • 原因が被害者にないわけじゃない

という主張をする人を見かけますが、その人達を見る度に「この人達は被害者に死ねとでも言っているの?正気?」と都度思います。

 

もし「性被害の原因が悪いところがある」と主張するのならば、被害者はこの世からいなくなることでしかこの問題を解決できません。

なぜなら、性被害が起こる度に毎回被害者に原因があるとすると、結果的にこの世に存在しているから性被害が起こるということにもなり、「性被害が起こらないようにするのなら、その人が亡くなることでしか解決できない」と言っていることになるからです。

この「性被害の原因は被害者にもある」ということは、被害者に死ねと言っていることにもなります。

 

そもそも、「被害者に原因がある」と主張する人には少し考えないといけないことがあるのではないでしょうか?

 

想像してみてください。

 

ある性被害を受けた人(性被害者)が通勤中に満員電車で痴漢に遭いました。

  • 満員電車に乗るな
  • 電車に乗るな

と言われました。

そう言われたので、被害者は満員電車を避け、電車に乗る時間帯を変えましたが、電車を変えても同じように被害に遭いました。

そして、また、同じように言われました。

 

すると、どうでしょうか。

以降は性被害が発生した際にこのようにずっと同じようなやりとりが発生し、結局、被害者は電車に乗れなくなってしまいます。

そうすると、「今住んでいるところで電車が使えない→自分が住んでいる国で電車を使えなくなる→海外でも電車が使えなくなる」ということになります。

 

そして今度は、電車に乗るなと言われたからタクシーで通勤するようにしましたが、タクシーでも何らかの性被害に遭ってしまいました。

また同じように、「乗るタクシーを変えろ」みたいなことを言われれば、電車の中での痴漢のように、「今住んでいるところでタクシーが使えない→自分が住んでいる国でタクシーを使えなくなる→海外でもタクシーが使えなくなる」ということになります。

 

今度は、電車もタクシーも使えなくなったので、徒歩で通勤するようにしましたが、通勤中にまた性被害に遭ってしまいました。

また同じようなことを言われれば、また同じように「今住んでいるところでは徒歩で通勤できない→自分が住んでいる国では徒歩で通勤できない→海外でも通勤できなくなる」ということになります。

 

どうでしょうか?

「性被害の原因が被害者にある」というのなら、どの痴漢も避けられないということになってしまうのです。

 

通学の途中で痴漢にあったときも、自宅で入浴中に盗撮されてしまったときも、スーパーの中で盗撮されていたときも、自宅のマンションで痴漢にあったときも、同じことを言われ続けることになります。

そうすると、性被害は被害者が生きている限り、起こり続けることになってしまうのです。

よって、性被害が起こる度に被害者に原因があると言われ続ければ、被害者はこの世に存在できなくなります。

 

ちなみに、性被害というのは、ありとあらゆるところで起こっているのです。

下記の豊島区の議員の方のツイートにあるように、シスジェンダー男性の僕では全く想像できないような場面で起こっていたりします。

「え、こんなところで!?」と思うようなひどい事件が起こったのですが、これだけでも満員電車を避ければいい話ではないということは伝わるのではないでしょうか?

 

 

性被害・性暴力は犯罪であり、何があってもやってはいけない最低限のルール

人はこの世界で生きていく以上、「法律」というルールがあり、それに則って生活しないといけません。

当然、この法律では性被害や性暴力は何らかの犯罪になると決まっており、人にしてはいけない不法行為です。

 

まず、加害者が加害者になる前も被害者が被害者になる前、その時点では性被害・性暴力が起こっていませんが、性被害・性暴力が生じた時点で、加害者がその法律を破っていることになります。

法律というのは、ルールを破った側が悪いということになるのです。

 

被害者はどうでしょうか?

加害者に被害を加えていませんし、法律を破ってすらいません。

 

つまり、性被害が生じた時点でルールを破っているのは、性暴力をしている側の人であり、被害者には何も原因があるとは到底言えません。

それに、被害者にも原因があるというのであれば、加害者が性暴力をするきっかけを作った罰みたいな被害者にも何らかの罪があるのではないでしょうか?

それが法律にない以上、どうしても悪いのは加害者ということになります。

 

ちなみに、おとめ六法という本があるのですが、様々な性に関するトラブルが起きたとき、どんな犯罪があるのかなどが紹介されているので、そちらを読むと理解度も増すことでしょう。

下記でそのおとめ六法という本を読んだ感想や学んだことをまとめているので、参考にしてみてください。

「おとめ六法」レビュー〜最低限の法律の知識を身に着けるために〜サムネイル

「おとめ六法」レビュー〜最低限の法律の知識を身に着けるために〜

2020年7月26日

 

『性被害の原因は被害者にもある』という考え方に怒りが湧く

といったことから、僕は性被害の原因は被害者にあるという考え方には心から反対です。

それよりも怒りが湧きます。

これまでまとめたように、性被害は被害者にも原因があるという主張は被害者に「死ね」と言っていることと同じだからであり、いとも簡単に人に「死ね」と言える意識の表れでも有るからです。

性被害は被害者にも原因があるという考え方は建設的な考え方だとは到底思えません。

 

性被害の原因が被害者にもあるのだとしたら、この世で「性被害が起こるのは仕方ない」ことにもなってしまうのではないでしょうか?

相手に性被害を加えてはいけないという法律がある以上、どこが仕方ないんですか?

法律という「仕方」があるのに、矛盾していますよね。

 

個人的に思うことではありますが、「どんなことも自分に原因がある」と捉えさせるようなこの社会の状況が生きづらい人を増やしている気がしてなりません。

どんなことも原因自分論で片付けるのは正論に見えて実は暴力行為であるサムネイル

どんなことも原因自分論で片付けるのは正論に見えて実は暴力行為である

2020年10月25日

その常識がいつの間にか身について、人に頼れないという人が増えたり、生きづらさを感じる人が増えているのではないでしょうか?

 

また、この被害者にも原因があるという言葉は『人間誰にでも間違いはある』という言葉と同じ「ずるい言葉」だとも考えています。

『人間誰にでも間違いはある』は自分の否をごまかすずるい言葉サムネイル

『人間誰にでも間違いはある』は自分の否をごまかすずるい言葉

2021年4月4日

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