『人間誰にでも間違いはある』は自分の否をごまかすずるい言葉

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こんにちは。こんばんは。おはようございます。

リキトです。

リキト
リキト

今回は「人間誰にも間違いはある」という言葉は自分の否をごまかすずるい言葉であるということについて解説します。

 

今回の記事は、以下の「ずるい言葉」という本を読んで、僕がこの本に載っている「ずるい言葉」以外に特に「これはずるい」と思った言葉について一つだけまとめてみました。

 

ずるい言葉ってどんな本なのかはオリエンタルラジオの中田敦彦さんの下記の動画で解説されています。

 

人間誰しも間違えることは確かである

人は誰でも間違いをしてしまいます。

というより、間違うことのない人なんていません。

どんな人だって間違いがあります。

 

  • 雨は振らないと思って家を出たら、雨が降ってきてびしょ濡れになった
  • 相手が喜ぶと思って言った言葉が、実は相手を傷つけてしまった
  • 営業に「安いから得ですよ」と言われてSimを契約したら、月額が上がってしまった
  • 愛用しているアクセサリーをでかけているときに落としてしまい、また買わないといけなくなった
  • 楽器を演奏しているときに出さなきゃいけない音とは別の音を出してしまった

そんな経験はあるのではないでしょうか?

 

僕にだってあります。

  • まだ性教育を勉強したての頃に、相手の外見だけを見て女性と言って傷つけてしまったこと
  • とある芸能人の人に似ていると言ったら、逆に相手を不快な気持ちにしてしまったこと

など。

 

会社の社長であろうが、総理大臣であろうが、学校の先生にだって間違いはあります。

『猿でも木から落ちる』という言葉がこの世にはあるように、人間誰しも間違いがあるというのは否定のしようがない事実です。

 

間違いを指摘されている人が言っていい言葉ではない

しかし、この「人間誰にでも間違いはある」という言葉は自分の間違いや過ちを指摘されている側の人間が発していい言葉ではありません。

それはなぜかというと、

人間誰にでも間違いはあると言い続けることになるということになってしまうからです。

つまり、自分に間違いがあって、相手に不快感を与えたり傷つけたりなんてトラブルがある度にこの言葉を言い続けることになります。

間違いがある度に同じことしか言えないのは、とても反省しているようには見えません。

聞いている側からしたら、すごく違和感を感じますし、「この人本当に大丈夫なのか?」と思うことでしょう。

 

想像してみてください。

有名な会社が社会的に信頼を失うレベルの問題を起こしたときに、代表取締役の人が「人間誰にでも間違いがあるので…」なんて謝罪会見で言っていたらどうでしょうか?

  • 今回のような事件が起こった経緯をちゃんと説明しないの?
  • こんなんではまたまた大きな問題を起こすんじゃないの?

なんて思うのは一目瞭然でしょう。

 

まともな会社であれば、トラブルが起こった経緯をちゃんと説明し、今後同じトラブルが起こらないようにどういうことをするのかをちゃんと説明するはずです。

有名な会社で大きな問題を起こしても社会的に生き残っている会社はきっとそうして間違いが起こった経緯を説明し、人々からの信用を守ってきたはずでしょう。

 

まとめると、指摘されている側がこの「人間だれにでも間違いはある」という言葉を使うのは、指摘している側の人からすると、指摘されている側が現実逃避をしているように聞こえる言葉であり、自分の間違いの弁明の義務の責任転嫁をするための言葉でしかありません

この言葉は問題を指摘されている側の人が言っても何の言い訳にもなりませんし、より相手を不快にしてしまう言葉です。

 

「人間誰にでも間違いはある」はずるい言葉である

これまで解説したことをまとめると、「人間誰にでも間違いはある」という言葉は間違いを指摘されている側が発するとずるい言葉になるのです。

間違いが起こる度にこの言葉を使い続けると、堂々巡りになります。

そもそも、「人間は間違える」というのは、変えることのできない常識でしかありません。

 

学校で算数を習ったときに、九九を間違わずに一回で覚えられましたか?

受験の問題を全教科満点で解くことができましたか?

社会人になって仕事をしてから、間違えることなく仕事をこなすことはできましたか?

そんな人どこにいるのでしょうか?

 

「人間は間違える」というのは、加害者と被害者どちらも把握している認識であることが多いはずです。

なのに「人間は誰でも間違える」と言うのは、ただ単に『常識を復唱しているだけ』に過ぎません。

相手がなぜ自分の行動を指摘してきたのかを全く理解していない態度が露見しています。

 

何らかの間違いが起こった時にこの「人間誰もが間違える」という言葉が出てくることが多いと思いますが、その時相手の間違いを指摘する側の人が例えば次のAとBの

A「Bっていじられキャラだよね」
B「本当はいじられるのは本当に不快なんだ。自分が馬鹿にされているように感じる。」
A「そうだったんだ、ごめんね。」
B「今後のために言っておくと、これまでそういった関係が長く続いてすごく辛かった。嫌だと言っても『もっといじられたい』というようにどうしても捉えられてしまうから。」
A「『人間誰しも間違える』んだからBを傷つけてしまうのはしかたなくない?そんなんじゃ人間関係でずっと困るよ?」

といった内容の会話のやり取りがあったとしましょう。

 

Bが『なぜ自分が不快な気持ちになったのか』という主張に対し、Aはその主張を理解しているとは決して言えない返答をしています。

そんなことはBも分かっているのです。

まずBが『なぜ自分が不快な気持ちになったのか』という主張をしたのに加えて、それを伝えても聞いてもらえなかったとその前にちゃんと言っています。

 

「人間誰しも間違える」という常識がある以上、Bはそれを理解した上でAに「私とのコミュニケーションをする上で、私をいじりながら接するのは間違い」ということを説明しており、Bは件の常識を認識している上で自分がどうすればいいのかを考えて最善のことをやっているのではないでしょうか?

なのに、Bは「自分をいじることをやめてほしい」という趣旨の返答に対して、「人間は誰だって間違える」という返答するのは相手に対する返答になっているとは言えませんし、会話が成り立っていません。

Bは自分とのコミュニケーションにおいて、自分がどうしたら傷つくのかをちゃんと伝えていることができているのに、見当違いな返答をするのは、相手に対する礼節を非常に欠いています。

 

なので、最後のBの返答は、

  • 「今まで気づいてあげれなくてごめんね。」となどの謝罪
  • 「Bはいじられて嬉しそうに見えたけど、本当に大丈夫なのかを確認をせずに続けてしまったのはダメだったね。自分がそう思ってもBはそう思ってないかもしれないから。」などの自分が『どうして間違いを起こしたのか』を説明

したような返答が適切です。

 

以上、『ずるい言葉』を読んで僕がこの書籍に載っている言葉以外で、とくにずるいと思ったこと言葉についてまとめてみました。

世の中には想像以上にずるいと感じる言葉があるのですが、それも以下の『ずるい言葉』を読めば、その一部がわかります。

 

「それ、本当に今の返答が適切なのかな?」と思った方には、すごくオススメです。

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